借りた金は返すのは本当に当たり前か?

「借りた金を返すのは当たり前」

確かにその通りで、金を借りている立場の者が、債権者からそう言われれば、返す言葉もありません。

僕自身も、毎日のように督促の電話をもらっていた時は、この言葉を浴びせられたのは、一度や二度ではとてもききません。この言葉を言われるのは、返したくても返せない者としては、やっぱり、かなりキツイです。なぜなら、その言葉の裏側には「お前は、約束したことも守れないような奴なのか!それでも、大人か!人としてどうなんだ!」といったニュアンスも込められているからからです。

本当は、債権者からしてみればただの常套句で、そう言っていただけなのかもしれませんが、こちらとしては、完全に卑屈になってますから、そんなことを言われなくたって、とっくに自分で自分のことはイヤになっているし、世間の皆さんはちゃんとやっているというのに、自分だけが不甲斐ないダメな人間だと思っちゃってますから。

でも、どんなに自分を責めてみても、金が返せるわけじゃァないし、無理してよそから金をかき集めてその場をしのいだところで、後で、もっと酷いことになってしまいます。

借りた金が返せないのは、僕たち多重債務者だけじゃない

多重債務に陥ってしまって、しかたなく債務整理という手段を選んだ人には、本来払うべきの元本に金利を加えた金額が約束通り払えないことに、罪の意識を持つ方もいらっしゃいます。

国の借金借金が返せないのは、もちろん褒められたことじゃないですが、あまり自分のことを卑下する必要もないんじゃないかというお話です。漫画「ナニワ金融道」の著者である青木雄二氏(故人)が生前に執筆した本の中で、こんな事を語っていました。

「借りた金が返せない」のは、僕たち国民だけじゃない。今やこの日本国自体が、破産寸前の多重債務者のようなものなのだ。例えば国債。国が保証するといっても、しょせんは国民に対する借金。国にとってみれば、税金の前借りにすぎない。大蔵省の発表によれば、この国債、地方債の発行残高だけで、98年度末には国内総生産を上回る529兆円!いうなら、国が国民一人ひとりに500万円の手形を切っているということや。「土壇場の経済学(青木雄二+宮崎学)より」

データとしてはちょっと古くて、今から15年以上前のものなので、国の借金が500兆円以上となっていますが、今はその倍の1000兆円を超えていることは、みんさんもご存知のとおりです。

10年以上も前から、このままではマズイと警鐘を鳴らしていたのは、青木氏だけではなかったはずですが、それがたった15年で倍になっています。ここまで膨らんでしまった国の借金は、最終的には国民がツケを払わされるのは、まず間違いないでしょう。

(銀行のような)強者は救済するが、弱者は絶対に救わない。それが国というものなんや。

たとえば、年金の減額とか、消費税のさらなる引き上げ、たばこ税やら犬税やらのワケの分からないものだって、いざとなればすぐに導入できます。

でも、今現在政府が検討しているように、法人税の引き下げをして、企業に国内にとどまってもらうための政策をとります。僕はこれがずるいとか、不公平だとか言いたいわけではなく、これが資本主義社会なんだと思います。国も企業といっしょで効率を考えなければいけませんから。

青木氏は、今は借りた金が返せない時代になってしまったのだから、その最悪の状況を原点として、現実的に考えるべきだと書いています。

そうであれば、不幸にも借金地獄に陥ってしまって、どうにもならない状況に置かれてしまったのなら、国が用意してくれた制度を利用して「債務整理」を淡々と行えばいいだけであって、無理して借りて返したり、必要以上に債権者に負い目を感じることもないんじゃないかと思うのです。今の時代を生きる僕たちは、どうせこの先、税金で今以上に持っていかれるのだから、その分を今、債務整理という形で前借りしておくくらいに考えてみてはどうでしょう。

そして、復活した暁には、しっかり税金を収めてやるという気持ちで、再起に励むのが精神衛生上よろしいかと思います。

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