貧乏はハシカと同じだ。どうせかかるなら早いほうがいい。貧乏な家に生まれたことを喜べ。

この言葉は、日本における「公園の父」とも呼ばれている林学者の本多静六氏の格言です。

本多氏はもともとは、裕福な農家に生まれましたが、氏が9歳の時に父親が亡くなってからは、とても貧しい生活に送るようになったそうです。

本多静六は、苦学の末に現在の東京大学農学部にあたる、東京農林学校を卒業して、さらにドイツへ留学して林学を学んだそうです。

本多静六
本多静六 by Wikimedia Commons

帰国後、日比谷公園や明治神宮などの誰もが行ったことのあるような、数々の有名な公園の設計や改良に携わりました。

「貧乏な家に生まれたことを喜べ」というのは、そんな本多氏の生い立ちを反映した言葉なのでしょう。

貧乏であることは病気の「はしか」に例えているところが、ユニークですね。

貧乏がはしかのような病気であるのなら、治ることを前提としています。なので、貧乏は誰でにも克服できると、考えられますね。

ちなみに、本多氏は東大の教授だっただけでなく、大富豪だったという話です。具体的にどれくらいの資産を持っていたのか、僕はよく知りませんが、年の半分を農作業に費やしながら、勉学に励んだ学生の頃から考えると、大出世といえるでしょう。

また、貧乏なことを病気に例えることで、いつまでも貧乏な状態でいることは、良いことでないとも受け取れます。

不幸にも債務整理をしなくてはいけない状態になってしまったとしても、早い時期にやってしまったほうが良いのかもしれません。

もちろん、一度もそのような状況に陥らないのが、一番いいに決まっていますが、僕のような凡人には、生涯にわたって、そんな順風満帆な人生を送ることはハードルが高いと思います。

それなら、老後に貧乏(債務整理)するよりは、若い時に経験してよかったと言えるんじゃないかと思います。

もし、高齢だったらこんなに金銭貸借や債務整理についての法律とか、容易に理解できなかったかもしれませんし、そもそも、そんな気力も沸かないかもしれません。

強がりだと思われるかもしれませんが、僕は若い時に多重債務を経験しておいて良かったと思っています。

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