特定調停の実際 – 債務整理体験談 その5

さて、特定調停の日を迎えた僕は、裁判所へ出向き、準備ができるのを廊下で待っていました。

しばらくすると、テーブルと椅子だけがある6畳程度の殺風景な部屋へ通されました。中には二人の調停委員がいて、彼らが対応してくれました。

調停委員の方は、二人とも初老の男性、というよりは「おじいちゃん」といったほうがしっくり来るような、穏やかな感じの方たちでした。特定調停

ひと通り、私の状況を確認し、今現在どれくらいの収入があって、生活に必要な経費がどのくらいなのか、そして、毎月いくらまでなら、無理なく返済に当てられるのかを検討してくれました。

その金額(彼らは「原資」と呼んでいました)から、各消費者金融やカード会社に残債の額に応じて割り当てた試算を出すと、各社へ電話をかけまくり、僕の代わりに交渉してゆきます。

この一連の作業の中で僕自身がすることは、ほとんどなく、時おり、調停委員に質問されたことに返答するくらいで、ただただ、交渉が終わるのを待っている感じでした。

僕は多少のお説教を食らったりすることは、覚悟していたのですが、そういうこともなく、「よそから借りて返してると、すぐに借金なんて増えちゃうでしょ。みんなそうしちゃんだよね。」とニコニコしゃべりながら、書類を確認していたくらいでした。

ただ、やはり金額が大きかったようで、ちょっと厳しいかもしれないよと、書記官と同じようなことを言っていました。

本やマニュアルで事前に仕入れていた情報では、特定調停の場に債権者も来て、調停委員も交えて話し合いが行われるとありましたが、実際には調停の場に現れる業者は1社もなく、すべて、電話のみの話し合いでした。

期待したほど圧縮できない残債務

ここで、もうちょっと特定調停について説明しておきます。

債務整理の方法には、いくつかのやり方がありますが、特定調停はそのやり方のうちのひとつです。メリットしては、個人でも比較的簡単にできることと、費用が少ないことです。

逆にデメリットとして考えられるのは、過払い金を取り戻すことはできない(難しい)、調停が成立するまでの遅延損害金などは、払わなければいけない。など安く簡単にできる分、債務の圧縮などの点では、デメリットも多いのです。もちろん、当時の僕はそんなことは知るはずもありません。

このサイトに来ている方なら、知ってる方も多いでしょうが、過払い金というのは、利息制限法の定める金利(100万円未満で18%など)を超える金利で、かつ、出資法の定める29.2%以下の部分は、いわゆるグレーゾーン金利と呼ばれていますが、古くからサラ金を利用している人は、だいたい29.2%の金利を払っていますから、この払い過ぎた利息を返還してもらおうというのが、「過払い金の返還」ということです。

僕の場合も、そこそこ過払い金があったと思いますが、当時はいい加減でしたから、イチイチ明細なんてとっていませんでした。なので、自ら証明することは不可能ということで、明細は消費者金融にお願いするしかありませんでした。

ところが、これが一筋縄ではいかないのです。

いちおう建前上は、情報の開示の依頼があったら、速やかに出さなくてはいけないことになっていると思いますが、そこは百戦錬磨のサラ金屋さんですから、難癖つけては、調停委員のおじいさんにたてついてきます。ていうか、それ以前に特定調停なんて絶対認めないといった態度でした。電話口で怒鳴る

これでは、先に進まないということで、一旦電話を切って、他の業者への電話をすることにしたようです。

電話を切った調停委員は、「やっぱり、サラ金は一筋縄ではいかないね。まるでチンピラみたいなしゃべり方だよ。」と溜息をつきました。

横に座っている私にも電話の内容がはっきりとわかったくらいですから、相当な剣幕でしゃべっていたのはわかりました。

「家のローンはしっかり払っておきながら、コッチに金を入れねーなんて、そんなことが許されると思ってるのかー!」と、はじめての人にやさしいことがウリのサラ金屋さんはおっしゃってました。

なかなか、こちらの条件を飲んでくれないサラ金業者の2社を除けば、すべて、すんなりとこちらの提示した支払い条件を飲んでくれました。

僕の場合は、サラ金との付き合いが一番長く、クレジットカードのキャッシングは、借りて返すようになった比較的最近のものだったので、こちらは、あまり過払い金はありませんでした。

将来利息が免除されることは、大いに助かりますが、できることなら、サラ金に貢いだ過払い金が、相殺されて借金の残額を少しでも減らしたいというのが本音でした。

しかし、それは無理だったようで、過払い金の返還はおろか、こちらが提示した毎月の支払額を上回る条件で、調停は成立しました。

それでも、調停委員のお二人は頑張ってくれたと思います。もうちょっとで、調停は不成立になるかという場面で、電話の先でいきり立つサラ金の担当者を粘り強く、説得していたのを目の前で見ていましたから、当初の予算をオーバーしていましたが、僕は「頑張って返します。」としか言えませんでした。

調停成立後のダブルワーク

期待したほど、残債務の圧縮ができなかったとはいえ、あのやかましい督促が止んだだけでも、大きな収穫でした。

あとは、約束通りに支払いを続けていけば、借金はなくなります。

ネットショップの売上は、まだまだ不安定で、これだけでは心許ないということで、夜中にアルバイトをすることにしました。幸いと言うべきかわかりませんが、本業の方が忙しくないため、夜働いても昼間寝る時間は確保できます。

週に3,4日、多い週は5日夜間のバイトを入れていたので、少し体はキツイけど、順調に返済をしてゆきました。そんな生活が数ヶ月続いたころ、ネットショップの方もじわじわと売上が伸びてきたのです。このペースだと繰り上げで返済して、3年以内には払い終わりそうな感じで、「ようやく夜明けが来る」そんな気分で、充実した日々が流れていました。

しかし、僕の多重債務履歴はここまでが、実はほんの序奏でした。僕が神や仏を一切信じなくなったキッカケになったあの出来事から、僕だけでなく、わが家はさらに泥沼にハマってゆくのでした。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です